I am READY.


「進撃の巨人」シーズン1見た。2期に備えて予習、予習。

前に一度見たことあるけど内容ほとんど忘れてた…
1
期あんないいところで終わったんだ!?あのクリフハンガーのまま
4年間放置プレイとか…アニとアニのお父さんに何があったのか気になるよう。

残酷な表現も多いけど、どうやら巨人は人工物のようだし
そこには政治的腐敗なども絡んでいるようだし、一体エレンたちは何と戦って
いるのか、作者はそれを通して何を伝えようとしているのか、2期で少しでも
明らかになるといいなぁと楽しみにしてる。

初回と最終回以外は良かった。

というのがドラマ「東京タラレバ娘」の感想です。
*
ネタバレあり

原作読んでるのでドラマも見てました。

1話で「え?」と思ったのはバッティングセンターのシーン。
自分たちがいつのまにか戦力外になっていたと知って愕然とした倫子たちが
バッティングセンターに行く。必死にボールを打とうとするけど空振りばかりで…
でも倫子がなんとかボールを打って「大丈夫、私たちまだ捨てたもんじゃない!」
みたいなかんじで3人がキャッキャするシーン。原作では3人が厳しい現実に
次から次へと直面していって、ああいうおざなりな希望みたいなものは(少なくとも
序盤では)まったく描かれていない。そのシビアさが今までの少女マンガにはなくて
魅力的だったのに、ドラマでは安易なオチがついてガッカリだった。(初回だから
暗い展開のまま終われない、後味悪い印象にしたくない、ということだったのかなぁ
とは思うけど。)

それ以降は概ね面白かった。
3人を演じた俳優さんたちも原作のイメージと近かったし、タラレバのCGも違和感
なかったし。とくに小雪を演じた方は役にピッタリはまっててモノローグは
主役より断然自然で上手かったし、落ち着いた低めの声もまた小雪っぽかった。

でも最終回のオチにはとてもガッカリした。
倫子にはKEY、香には涼ちゃん、小雪にはお見合い相手、とそれぞれ男を充てがわれ、
あたかも「ほら、みんな男ができましたよーだからかわいそうじゃないですよー」
とアピールするような終わり方だった。はぁぁぁ…。

 

直前にすごくいいシーンがあっただけに落胆もひとしおだった。

そのシーンで倫子たちは自分たちの考える「幸せ」の定義が世間の価値観や
子どもの頃からの刷り込みによって縛られている、という話をする。原作にはない
シーンだけどメッセージ自体は原作の核とも言えるものなのでまったく違和感は
なかったし、むしろ原作のテーマを直接的な言葉で分かりやすくまとめていて
良いシーンだった。

なのに、だ。
「幸せの形は人それぞれ」という話をした直後にあの結末。
あれでは結局「女は男と番ってなんぼ」という「世間の価値観」を再生産して
しまっているではないか。それもストーリー的に自然な流れならまだしも、
香と小雪に至っては話の流れからしても完全にありえねー展開だった。

香は何話か前に妊娠騒動があって涼と決定的な別れ方をした。
ずるずるとセカンド女を止められなかった香がようやく成長の兆しを見せたと
いうのに最終回で復縁とか…香の成長がすべてパァ。しかも彼女は
「涼ちゃんのことちゃんと見ていけるのは私しかいないと思うから」とか言ってて…
もうそれ死亡フラグ的なやつやん。駄目男に引っかかった女が自分への言い訳に
言うやつやん。小雪も不倫相手と別れて「今はひとりでいいかなって」と直前に
言っていたのに周囲が無理矢理お見合い相手を見繕ってきて…という強引な展開で
男を充てがわれていた。

ちなみに倫子とKEYはドラマの流れからも原作の展開的にも一番ありえる結末
だったけど、個人的にKEYにはまったく魅力を感じていないのでこのカップルの
誕生もとても残念だった。そもそも倫子たちとKEYの関係性が「19歳の若造に
ガツンと言われなきゃちゃんとできないダメなアラサー女たち」という構造に
なっていて、その時点ですごく違和感を憶える。倫子たちがダメダメなのは別に
いいんだけど、彼女たちに喝を入れるのはKEYのような年下モデル男でなくても
良かったのでは?と思う。「少女漫画のお約束」と言えばそれまでだけど…
例えばドラマでは原作にない独自の演出として倫子たちより少し年上の独身女性
キャラ(好みのタイプは「人間。生きてる。死んでない。以上。」の方)が登場
する。ああいう人に喝を入れてもらうんでも良かったんじゃないのかなぁ…?
それができないところ(イケメンを登場させざるえないところ)に主流派少女漫画の
限界的なものを感じる。


「男の子がいつまでも泣かないの」

とサザエさんがタラちゃんを叱ってた。

マジか。いまだにこんな古臭いジェンダー観押し付けんのか、このアニメ。


「女の子になりたい」とタラオは言い出す。
女の子なら泣いても怒られないから、と。

「そんな理由で?」とサザエ。

ワカメ:おねぇちゃんタラちゃんが泣くとよく言うじゃない、「男の子でしょ」って

サザエ:いつも言ってるわけじゃないわよ
タラオ:今日も言ったです

おぉ、面白くなってきたかも…と思ったら、ここでカツオが登場。

「男は顔で笑って心で泣くもんなんだ」

あぁ…結局また「男はこう(あるべき)」という理不尽な「男らしさ」の
押し付けに逆戻り…。

タラちゃんが感じてる生きにくさみたいなものが少しずつ積み重なって
女性への偏見や蔑視に繋がっていくんじゃないのかなぁ…

女の子は泣いても怒られなくていいなぁ

女は優遇されてる、女の人生は所詮イージーモード

 

みたいな。

「男でも女でも家族でもない そんなんだったら一生ずっと仲良くできたのかな」


ドラマ「カルテット」の主人公・真紀のセリフです。

*ネタバレあり

第6話がすごく面白かった。
一言でいえば「中年カップルがスピード婚して結婚後に徐々にすれ違って行く話」。

バイオリニストの真紀と広告代理店勤務のサラリーマン・幹生は仕事を通じて知り合う。

幹生は「会ったことがないタイプで品があって音楽やっててちょっと何考えてるか
分からない、そういうミステリアスなところがやっぱり魅力」の真紀に一目ぼれし、
「彼女と一緒にいるとなんかドキドキ」するようになる。真紀は最初幹生のことを
「仕事先の人」としか考えていなかったけれど、何度か食事を重ねるうちに「彼と
一緒にいると飾らなくていい気がして」幹生を好きになる。「結婚して彼と家族に
なりたかった」真紀と「結婚しても恋人同士のようでいたかった」幹生は
こうして出会いから1年足らずで結婚に至る。

この時点で二人の結婚観がまったく異なることは明らかで、
「あぁぁ…結婚決める前にもっとお互いを知らないと…!」とテレビの前で
やきもきしながら見てたんですが、多分それこそが作り手がこの回で描きたかったこと
なんだろうと思う。演じている俳優の年齢を参考に考えると、二人が出会ったのは
真紀35歳、幹生40歳前後のとき。結婚後のシーンで夫婦が不妊の相談で医者を
訪れたことが描かれているので、二人は以前から子どもが欲しかったんだろう。
35-40
歳で出会い、将来子どもをもつことを考えているカップルにとったら、
できるだけ早く結婚して子どもを作りたい、交際に時間をかけていられない、と焦るのも
理解できる。でも当然、交際期間が短く互いのことをよく知らないまま結婚すれば
それ相応の影響が結婚後の共同生活に出てくるのは避けられないわけで…。特に真紀の
「ミステリアスさ」に魅力を感じて結婚した幹生は結婚後に理想と現実のギャップに
苦悩する。多分二人が結婚前にもっと一緒に時間を過ごせていたら、同棲でもしていたら
簡単に解消されていたんだろうけど(幹生が現実に順応するか、それができずに別れるか
してたんだろうけど)、晩婚化が進むこの国で似たようなジレンマを抱えるカップルは
少なくないじゃ…と思える現実味のある作りだった。

幹生が理想と現実のギャップに苦しむ様は日常の些細なエピソードを通して
描かれるんだけど、それがまた秀逸だった。例えば唐揚げレモン事件は
若いカップルだったらあの場で一戦交えてすぐに笑い話にできるんだろうけど、
幹生くらいの年齢になるとそれなりに社会人としての経験もあるから「今指摘して
場の空気を悪くするほどのことではない」と判断して結局言うタイミングを
逃してしまう、みたいなことになるのもよく分かる。映画や本の趣味が合わない
エピソードも面白かった。特に幹生が恋人時代に真紀にプレゼントした本は
要所要所に出て来て二人の関係性の変化をとても効果的に表現していた。幹生は
「好きなものを見て隣を見たら彼女も同じように感じている」関係性に憧れて
いたけれど、真紀は「こんな面白くないもの面白いっていうなんて面白い人だなぁって。
よく分かんなくて楽しかったの」と趣味が合わないからこそ幹生に魅力を感じていた
ことを7話の最後の最後で明かすシーンなどはもう、何ていうか…あぁこの夫婦
ホントに何から何まで違ったんだなぁ、と。

真紀に勝手な幻想を抱いて勝手に幻滅した幹生だけど、思慮の浅い愚か者としては
描かれていないし、かといって真紀が幹生を騙したみたいな描かれ方もしていない。
そう、この回の一番の見所は作り手が二人の婚姻関係の破綻を夫と妻どちらかが
どれだけ悪いという個人レベルの話として描くのではなく、30-40代で出会って
付き合い始め、将来は子どもを持ちたいと考えているカップルがスピード婚した場合に
直面しうる構造的な問題として描いている点だと思う。映画や本の趣味が合わない
のだって唐揚げにレモンを絞るかどうかだって結婚前に簡単に気付くことができて
いただろう、二人にもっと時間がありさえすれば。

タイトルの真紀のセリフには前後があって、全貌はこう。

夫婦ってなんだろう ずっと考えていたけど分からなかった 
もっと違うのだったら変わってたりしたのかなって思ったりしたり 
全然知らない遠くの小さい島かどっかの幼馴染みみたいにして知り合って

すごく仲は良いけど別にこうなりたいとか こうしなくちゃけないとかなくて
毎日顔を合わせるけど 男でも女でも家族でもない そんなんだったら一生ずっと
仲良くできたのかな その方が良かったかなって もう分かんないけど

 

作り手は結婚制度と男女のあり方そのものに対して問題提起しているんだと思う。

そしてカルテットの4人組はオルタナティブな家族像なのかも。

今夜放送の8話も楽しみ。


ナショジオ!

 

本日発売の雑誌「National Geographic2017年1月号はなんと!
一冊丸ごとジェンダー特集!!Yes!!!

Fullsizerender1_4



 














もともと英語版の方のジェンダー特集が向こうのメディアで話題になっていて、
取り寄せようと思って検索していたら日本語版も同じ内容らしいことを発見し即購入。
年末年始のお楽しみ本。

来月ナショジオチャンネルでも雑誌とリンクしたジェンダー関連の番組が
放送されるらしい…見たい!

 



«サンタがもし女性だったら、